Hitorigoto

ひとりごと

宝角建築アトリエの考え

お寺のディレクション

 

・お寺の意義

現在お寺は「墓じまい」や「寺じまい」などと言われ、今後縮小されるであろう仕事にもなっています。今まで通りの考えでは50年先・100年先を見ると、しっかりと見通せているとは言えないのではないでしょうか。そもそもお寺とは地元や地域にとってどんな存在だったのでしょうか。明治や江戸時代では名字や子供の名前を付けてもらったり、近隣のいざこざや夫婦喧嘩の仲裁に入ったりして、もっと地域とのつながりがあったように思います。現在は良くも悪くも門徒制が確立されて、門徒のみに開かれたお寺になっているように思います。お寺の意義を今一度考えて、どのようなお寺が地元に求められてそして残っていくのか、見つめなおすきっかけになっていただきたいと思います。

 

・意識改革

これを読まれている住職は門徒を守るのか、門徒を増やすのかどちらを目指しますか?門徒を守るのであれば、門徒の方のみを見て、意見を聞いてお寺を守っていくことになります。ただ、これからは少子化で人口は減っていきます。当然、今の門徒の数も減っていくでしょう。そうした時にどうやってお寺を維持していくのか。維持できなくなると多分廃寺になるか、どこかの企業が宗教法人としてお寺を買って、お金儲けの道具になるかもしれません。企業は倒産すると、当然お寺の維持も出来なくなります。その時に一番困るのはお寺の住職ではなく門徒さんです。なので意識改革と言うのは当然お寺の住職に向けた言葉ですが、同時に門徒の方・総代会の方にも気づいていただきたい言葉です。門徒が増えると、年間の法事の数も増えるでしょうし、納骨堂などのニーズも出てくるかもしれません。そう言う流れが出来ることが一番大切だと思います。

 

・お寺として何が出来るか。

私は設計事務所です。当然何か建築したり、リノベーションしたりすることを仕事にしています。しかし、それらはコストが一番かかります。コストを掛ければそれに見合ったリターンがあるほど甘くはないです。どれだけコストを掛けずに門徒さん以外の方にお寺を知っていただき、住職と身近な関係が築けれるかだと思います。幸い都市部以外のお寺は境内も広く緑が豊かで樹齢の古い木々もあったり鐘楼や本堂と言った歴史の古い建築物もあります。まずは境内のお庭を剪定し、しっかりとコンセプトを作って庭を再考するのも一つです。そして俳句教室やヨガ教室のような教室も一つでしょう。そうしたらホームページはしっかりと作ってお寺の魅力を発信することを考えましょう。せっかくならロゴマークを作るのも良いでしょう。人の出入りが少し出てきたらマルシェを開くのも良いと思います。お気持ちがあれば夜のマルシェも雰囲気が良いです。それにはお庭を生かすライティングも必要になります。地道ではありますがこういったことを続けることが一番の近道だと思います。決して一過性のものは取り入れないようにした方が良いと思います。ただこれらすべてにとって一番大事なことは携わる方々の意識のレベルです。マルシェのことも書きましたが、今は色んなところでマルシェがあります。当然人気のマルシェもあります。人気のマルシェとそうでないマルシェの違いは運営事務局の意識のレベルのように感じでいます。上段にある画像はお寺で開催した夜のマルシェです。大人だけではなく地元の子供たちもたくさん参加しています。

こちらの画像はお寺の境内に設置したサイン看板です。私と住職でデザインを考えました。もみじをたくさん植えたことで地元の方に「もみじの寺」と言われるようになったのでこの名前となりました。

こちらの画像は今度テラスで開催する立式のお茶会です。会を催す方々がチラシ用に傘なども用意するくらい皆さんのモチベーションは高いです。ここまでくると横のつながりで意識の高い方々が集まってきて自然と良い催しになります。

 

・設計事務所として何ができるのか

最初にディレクションと書きましたが、私が出来ることはこれなんだろうと思っています。0~3年の短期的なビジョンと5~10年の中長期のビジョンをお寺の住職と共有し、ロゴマークやホームページ・ライティング、地域の限定はありますがマルシェのことや法事のことなど建築以外で出来ることを考え、それらを形にしていくことだろうと考えています。そしてお寺として認知されたところで次のステップとなる建築につながると思います。幸いなことに仕事柄、照明デザイナーやグラフィックデザイナー・庭園デザイナーはいます。東海エリアであればマルシェの事務局の方も知っています。それらは私自身の大きな強みだと思います。

 

・寄付に頼らない寺院経営

これは私が目指す最終形です。一般的にお寺では何かを作るときに寄付を募って建築します。そうすると設計側から見るとたくさんのクライアントが居るようになります。当然統一した意見ばかりではありませんので最終的に折衷案の様になります。これが一番お寺として避けたいところで、ビジョンが曖昧になってしまいます。そういう意味でも寄付に頼らず作ることを目指して、まずできることからこつこつ一緒に関れることを目指しています。