大学の講師の発言
先日ラジオを聴いていると、ゲストにとある大学の講師がゲストでした。その方が10年以上内容が難しすぎて最後まで読み終えれなかった古典の本が読み終えることが出来たとおっしゃっていました。なぜ今回は読めたのかと言うとノートパソコンを数台並べてそれぞれに別々の生成AIのアプリを立ち上げ、文中の難しい内容が出てくるとそれぞれに内容を入れて回答を読むそうです。読んでも分からなければ、さらに「分からない」と入れるともっと噛み砕いた回答が出てくるそうです。その結果、10年以上経って初めて最後まで読み終えたそうです。その方曰く、登場人物が多く関係性などが分からない場合は生成AIが登場人物の相関図まで作ってくれるそうです。以前なら自分で調べて時間をかけていたことがほんの一瞬で答えにたどり着く様です。今後、どんどん進化して精度も高まっていくことでしょう。ただ、私が一番びっくりしたのは、その大学講師が生徒から質問を受けた時に「AIの方が私より良い回答を出してくれるよ」と言っているそうです。そしてそれをおっしゃった講師自身が「大学の存在意義って何だろうと」と思ったそうです。

画像は真鍮製フロアスタンド
これも先日の事ですが、息子が解けない数学があったようでどのように解決しているのか聞くと、chatGPTに問題の写真を撮って送るようです。そうすると解き方を解説したコメントが届くようです。先ほどの大学話同様、学校や塾の存在意義が良くわからなくなってきました。高額な塾費用を出して、決められた時間に塾に行って、分からなければ順番待ちをして教えてもらう。そんな今までの普通が無料で好きな時間に回答をもらえる今の現実に衝撃を受けました。
仕事の意味合い
大学で物事を知っていく事、中学や高校で学業を高める事はすでに上で書いたように変化をもたらしてきています。同じように設計の世界も相当変化してくるはずです。これだけインスタやピンタレスとなどの情報が溢れると、土地の不動産情報で敷地の図面、方角を入力して、家族構成とインスタなどからのお気に入りの写真を読み込ませれば平面図・立面図が簡単にできてしまうでしょう。それを3Dプリンタでもしかすると建築までできてしまうかもしれません。そうすると設計事務所や工務店の存在意義はなくなってしまうでしょう。私は設計事務所としてこれからの設計に何が必要になってくるのかを模索しています。はっきりしたことは分かりませんが、設計しかできない事務所は淘汰されていく事だと思っています。学校や塾でも教育しかできないところは淘汰されるのではないでしょうか。「設計」や「教育」と言う漠然とした区分けではなく、より詳細に定義分けされていくように感じています。

画像は真鍮削り出しのペンダントライト
お寺はどうなのか
私は最近お寺のお仕事をさせて頂いております。お寺も「檀家」「寄付」「教え」と言う宗教活動の定義を再検討しないといけない時代に来ていると思っています。現代においてお寺は死者を弔う場所と思っている人が大部分ではないでしょうか。私は死者を弔う場所だけではなく、生者の拠り所にならないといけないと思っています。お寺が小さな公園の様になればお彼岸やお盆・法事の時以外にも足を運び、その折にご先祖を想い、手を合わせることになります。その行為がいつか死者になった時もこうやって手を合わせてくれると思う「想い」は引き継がれていくと思います。それが本当の意味での宗教活動ではないでしょうか。決して普段聞きなれない難しい「教え」を聞くことは宗教活動と思ってもらえないかもしれません。
建築士として
既製品の集合体ではなく、ここにしかないものを目指して、コストを抑えつつ様々なデザインに携わっています。

画像は納骨檀の扉のデザイン
腰掛も単に座るだけではなく意匠になるように。

象徴的な場所には印象的なものを

画像はオリジナル行燈照明
納骨堂の案内の為のシート看板も


お寺に関心の無かった方に気に留めてもらう事を少しづつ試させていただいています。大したことではないですが、出来る限り自分で考えできない部分を業者等に協力いただきながら進めています。