Hitorigoto

ひとりごと

日本建築を残していく

・和風とも違う日本建築を考える

和風と日本建築と言う言葉は感覚的に同列に居るような言葉かもしれません。私もこの「おことづて」の中でも何度も和風と言う言葉を使っております。
ただ、ずっと前から何か引っかかるところがありました。
それは欧風・洋風やヴィンテージ風の様に〇〇風と言う表現がなんだか「うそ」の様に私が感じるからです。先ほど書いた言葉には正確な定義がある訳ではないと思いますし、言葉の意味合いに「巾」がるのも承知しています。ただ、私はあえて和風と言う言葉にラインを引いて、日本建築と言う言葉を使いたいと思います。

 

・海外を旅行して感じたこと

私はそもそも建築学科を卒業していないので、世界的な有名な建築家をほとんど知りませんでした。自身が海外旅行をした時もその国・その土地の町並みや雰囲気・ライフスタイルを感じたく、地元の日常を感じることがとても好きです。
最近コロナ渦が開け外国の旅行客が増えたというニュースをよく見ます。その時のインタビューで外国の方の訪れるところが京都・大阪・沖縄と言った観光地と合わせて、日本のカルチャーに触れたいという回答もよく聞かれます。国が変わっても私が感じることは世界共通なんだと感じました。

 

・実家を見て思う事

私の実家はHPのプロフィールにも載せていますが古い日本家屋で、明治の20年ころの建物だそうです。左隣は徳川家光の頃からあるお寺です。家の前に旧街道が走り街道から北を眺めると姫路城が見えました。
残念ながら途中に高層マンションが建ち、少ししか見えなくなりました。
実家は今だ現役ですが、この先どう受け継いでいくかは不明です。私の小さいころから比べると同じような建物がどんどん立て替えられ町並みはどんどん変わっていきました。私は小さいころに過ごした実家の廻りの町並みがすごく好きでした。
その街並みがもし今も残っていれば、お城から途中旧街道に入ってそのまま港までレンタサイクルで行ければ、外国の方は姫路の様々な文化を味わうことが出来ます。その港から船に乗れば離れ小島の家島や坊勢島にも確か20~30分で行けます。
そんな夢見物語を想像しながら実家を眺めていました。

 

・100年後に残る日本建築を目指して

私の実家は築100年以上経ちます。現代に生きる私が100年以上前の建物に好意を持ったように、現代に建てた建築も100年後に好意を持ってもらえるような建築を目指していきたいと思います。
そして、それは外国の方にも同じように日本建築として認識してもらえるような建築を目指していきたいと思います。
最近はお寺のお仕事も依頼されることがあります。特にお寺は外国の方からすると日本の衣食住を感じることが出来ます。その中でも昔ながらの日本建築を作ることだけではなく、もう少し時代に合わせてアップデートさせた日本建築を志していきたいと思っております。
それは決して外国人に向けたことだけではなく、日本の方々にも日本建築のすばらしさを再認識してもらえ、足を運んでもらえる持続可能な観光のひとつの考えになるように思います。