Hitorigoto

ひとりごと

建築は主役になれない

敷地全体の中では建築は一部でしかない

住宅や寺院の設計を依頼されると、まずは敷地を見て、竣工後のイメージを考えます。住宅なら家族構成や子供の年齢、趣味なんかも重要なポイントになると思います。寺院となれば、規模や寺院運営を担っている人数も考えなければいけません。建築を主体にすると、どうしても建築だけを頑張ってしまいます。日常の中には、緑も照明もすべてが揃って考えるべきだと私は思っています。

この写真は愛知県名古屋市の名古屋別院さんのテラスに親子が寛いでいるところです。お寺に用事があったわけではなく、近くのお店でテイクアウトしたものを食べに来られたようでした。まさしく境内全体からすると建築はごく一部のように感じるのではないでしょうか。

 

建築を目的として観光地に行く人がどれくらい居るのでしょうか。

私は設計事務所を営んでいて、家族でも時々旅行に行きます。そんな専門業者である私でも旅行先でよっぽどのことがないと建築を見ることはありません。それが一般の方になるとどれくらいのパーセントになるのでしょうか。私はかなり低いと思っています。金閣寺や東大寺と言う目的地は建築かもしれませんが、それは建築を含めた景観があるから足を運ぶのではないでしょうか。建築だけなら一度行けば十分なはずです。にもかかわらず何度も訪れるのは紅葉や雪景色など日本独特の四季を感じ取れるからではないでしょうか。

こちらは愛知県西尾市の普元寺さんです。ご覧の通り建築はあまりはっきりとは認識できません。でも建築が存在するという事は認識できます。見えているのは庫裏でそこまでの通路となります。通路の両側に紅葉を通路側にせり出すようにレイアウトし、紅葉の下を通れるようにしました。ここで申し上げたいのはこの写真で建築がなくても、緑がなくても殺風景となります。それでは結局建築も緑も活きてこないと思います。

こちらは名古屋別院さんの納骨堂からの景色です。ちょうどマルシェを開催していますが、建築と緑の間の空間をテラスとして考えました。テラスには腰掛も作り、座る位置によって本堂・鐘楼・納骨堂が緑を介して観ることができます。緑があることで季節によって違う表情を感じていただけます。

 

建築を名脇役に

敷地全体を考えたときに設計士はどうしても建築を主役にしたくなります。そんな浮気心をぐっとこらえて脇役に徹することが長く建築として愛されるのではないかと私は考えるようになりました。当然建築だけではなく、緑も照明もすべてが名脇役でなければなりません。それが名作へとつながるのではないでしょうか。